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Hard work pays off.

人間生きていると、必ずどこかで考えうること

 

「努力は必ず報われるのか」(否か)

 

努力すれば必ず結果につながると考える者がいれば、努力をしても報われない・変えられない現実もあると考える者もいる。

 

これは容易に回答できるほどの問いではなく、かつ絶対的な正解があるとは思えない。

しかしながら「努力」についての思考整理は誰しもがする必要があるため、幾人かの著名人の意見を解釈しながら私なりの一考を投じたい。

 

【ベートーベン】

「努力したものが成功するとは限らない。しかし、成功するものは皆努力している。」

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まずは有名も有名、ベートベンの言葉。

成功した者の共通点として努力の成果というものが含まれているという考え。

どちらかといえば努力の効果や結果についての考えではなく、成功に対する結果論としての努力に関する思考・発言であると考えられる。

 

王貞治

「努力しても報われないことがあるだろうか。たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか」

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次に世界に誇る日本人、王貞治の言葉。

努力は結果に直結するとまではいかないものの、必ず何かにはつながるという考え。

報われるまでがあって初めて努力と言える、昔ながらの根性論に近い。

筆者自身はこの考えが最も好きである。

 

これらの努力に関する考えは、努力の効果・結果に対して肯定的な意見であると考えられる。

では、これに対して異なる視点はどのようなものがあるか。

 

林修

「努力は裏切らないっていう言葉は不正確だ。正しい場所で正しい方向で十分な量なされた努力は裏切らない。」

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東進ハイスクール林修の言葉。

報われるか否かは、対象への努力の内容・アプローチが適切であるか否かが重要であるという考え。

ただ報われるか否かを抽象的に議論することに対し、努力が報われる条件・前提について一考を促す言葉である。

 

ダルビッシュ有

「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」

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メジャーリーグで活躍するダルビッシュの言葉。

ただ闇雲に努力するのでなく、思考を以って努力をすることが肝要であるという考え。(この場合は練習と表現していることから、スポーツ、特に野球に関して述べているとも考えられる。)

 

この2者の考えは類似していると考えられる。

努力が報われるために、なにが(条件として)必要か、その点を言及しているように思える。

 

努力に関する言葉や考えは、無論ここに紹介した限りではない。

 

人によっては、努力こそすべてである努力至上主義論を持つ者もいれば、努力ではどうにもならないこともあると考える者もいるだろう。

無論、努力に限らず、思考形成は自由であるため正解はないであろう。

それを踏まえた上で、以下に私の努力に対する考えを述べる。

 

結論を先に述べると、努力が報われるか否かは当人の考えに依存する。

まず私が述べたいのは、努力の先の「結果」である。

そしてその結果と努力をつなげる基準として「合理性」が必要となる。

これを2つのケースに分けて説明したい。

 

①是が非でも達成したい(達成すると決めた)結果がある場合

この場合、人はおそらく必死に努力する。仮にうまくいかない状況に陥ったとしても、その結果を実現するため、達成できるよう(または達成できるまで)努力するべきである。根性論は概ねこのケースに該当・適用されるだろう。

①のように結果を捉える人の場合は、努力は報われると考えるのが妥当であろう。

 

②諦められる結果(人によっては言い訳できる結果)である場合&努力に対して限界値・限度がある場合

この場合は、人はおそらく一定の努力のみしか行わない。努力をして結果につながればラッキーであるが、つながらなかったのであればそれは仕方のないことである。(と思わなけらばならない、という表現が正しい。)

②の場合は、報われないこともあるという考えを持つだろう。

 

このように、結果をどのように設定しているかによって、努力に関する考えは異なってくる。

結論として努力に関する問いの答えは、

当人が努力及び結果をどのように設定するかに依存する。

①の場合は最終的に結果を得られる一方で、多大なる努力・労力を必要とする。

②の場合は努力・労力が無理のない範囲で収まる一方で、結果水準が低くなりうる。

 

等価交換、と言ってしまえば大げさな話に聞こえるが、何かを得る上ではその他の何かに対して相応の負荷をかける必要があるのであろう。

これが私の努力と結果に関する見解である。

 

私自身は、何事にもおいても、誰よりも一番努力すれば良いと考えるタチである。

 

 

 

〜Appendix的な。〜

 

しかしながら、私の身の回りにはタチの悪いタイプも存在する。

それは、

 

努力に限界値・限度があるが、結果を達成したいと思う人間

 

である。

こういったタイプの人間は、自分の力ではどうしようもないこともあると主張する一方で、現状に対し不平不満を吐露する。

 

こういった非合理な場合、解決策は存在しない。

愚痴を吐いたところで自分はスッキリできても結果は変えられない。

結果を変えようとしても、努力に限度のある人では、結果を変えることができない。

その結果、負のサイクルに陥るのである。

 

こういった人は、人はまず人格を矯正することから始めれば良いのではないだろうか(笑)